理系大学院生のトビタテ留学記~日本人の98%がいかないかもしれないスロベニア~

#留学 #研究留学 #トビタテ #大学院生 #理系 #ヨーロッパ #スロベニア

スロベニア留学を振り返って

 皆さんこんにちはりょうです。明けましておめでとうございます!遅すぎる。。。

報告が遅くなりましたが、2019年12月31日に無事日本に帰国しました。報告遅すぎる。。。

 僕は2019年の10月~12月の3か月間ヨーロッパのスロベニアという国に研究留学を行っていました。ブログには旅行のことしか投稿していないので「えっ?研究留学?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません(笑)実際、3か月という期間でヨーロッパ10か国、21都市(航空機経由地含む)を訪れました。冷静に考えるとすごいですね(笑)帰国してから、留学を経験した友人や先輩に話を聞いてもおそらく、一番多くの場所に旅行していると思います。現地の研究室のメンバーやスロベニア人の友人が「私たちのこれまでの人生よりもいろんなところに行ってるね!」と言っていたことを思い出します。

 さて、今回のブログでは、いつもの旅行記とは違って、留学を終えて1か月が経った今、留学を振り返って思うことについて皆さんとシェアできればなと思います。

 

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アドリア海の真珠 ドゥブロヴニク

皆さん、こんにちはりょうです。

今日は、前回に引き続きクロアチアについて紹介したいと思います。今回紹介する都市はドゥブロヴニクです。宮崎駿監督のジブリ作品である「魔女の宅急便」や「紅の豚」の舞台としても有名です。また、1979年に世界遺産に登録された旧市街は「アドリア海の真珠」と呼ばれ毎年多くの観光客が訪れる、ヨーロッパ有数のリゾート地です。

ドゥブロヴニクは、前回のブログで紹介したクロアチアの首都、ザグレブから南に約500キロの距離、ボスニアモンテネグロとの国境近くに位置します。

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今回、私はザグレブからドゥブロヴニクまで飛行機を利用しました。時間にして約2時間程度のフライトでしたが、その日は天気があまり良くなく、これまで搭乗した飛行機の中で一番、揺れが大きかったことを覚えています笑 さながらジェットコースターのようでした、、、

さて、余談はこのくらいにしておいてドゥブロヴニクについておすすめスポットを紹介していきたいと思います。

1.ピレ門

まず、ご紹介するのはピレ門です。

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この門は、城壁の入り口、つまりドゥブロブニク旧市街の入り口にあります。空港からバスで市内に向かう際も、このピレ門前で下車します。バスの運転手さんが、「Old town!」とアナウンスしてくれるのですぐにわかります。1537年に建設されたピレ門ですが、かつては門前の橋が上下に稼働し、夜になると門は閉まり、朝まで誰も門内に入ることができなくなっていました。ピレ門の上には街の守護神聖人でもある「聖ヴラホ」の像があります。聖人の手の上には街の模型があり、聖人によって街が守られていることを示しているそうです。

2.プラツァ通り

次に紹介するのは旧市街のメインストリートであるプラツァ通りです。

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先程紹介したピレ門を抜けると、さらに重厚な石壁が現れます。その石壁を抜けるとプラツァ通りが見えてきます。通りの左右にはギフトショップやカフェなど様々な露店が並びます。また、小道に入ると、旧市街に暮らす人の生活を垣間見ることができ、中世にタイムスリップしたかのような雰囲気を感じることができます。

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約200mにも及ぶこの通りは、石灰石により舗装された歩行者天国として多くの人で賑わっています。

また、通りの入り口には、1438年に建設されたオノフリオの大噴水があります。

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ドゥブロヴニクでは水道水は飲まない方が良いとされていますがこの噴水では、いまもなお天然の綺麗な湧き水を飲むことができます。

3.城壁

次に紹介するのは旧市街を取り巻く、ドゥブロヴニクの城壁です。ドゥブロヴニクはかつて13世紀を全盛として交易都市として大きく発展しました。ドゥブロヴニクが大きく発展した理由として地理的要因が大きいと考えられています。ドゥブロヴニクはヨーロッパとイスラム圏を結ぶ航海を行う際の航路において、ラテン語が通じる最後の港として多くの船が立ち寄る重要な港でした。燃料や水、食料の補給はもちろん乗組員の交代などがドゥブロヴニクで行われたそうです。このように大きく発展したドゥブロヴニクですが同時にヴェネチア王国やオスマントルコをはじめとすると当時の列強から囲まれていたために度々、列強からの干渉を受けていました。そのような状況をうけ、ドゥブロヴニクの周囲には街を守るため、城壁が建設されました。現在のような形になったのは15世紀から16世紀にかけて行われた大工事後とされています。

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城壁は、全長約2キロにもおよび、一周するとなると、途中写真を撮ったりと比較的ゆっくり歩いて1時間超かかる体感でした。しかし、眼下にはオレンジ屋根の建物が並んだ光景や美しいアドリア海が広がり飽きることなく城壁のお散歩を楽しむことができると思います。

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城壁内には砲台の跡や要塞跡などが複数あります。その中でも城壁内最大の高さを誇るミンチェッタ要塞は必見です。旧市街とアドリア海を一望する景色はまさに圧巻です!

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4.ドゥブロヴニク大聖堂

次にご紹介するのはドゥブロヴニク大聖堂です。

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大聖堂は、1192年に英国王によってロマネスク様式で建設されましたが、1667年の大地震により全壊してしまい、その後バロック様式として現在のように再建されました。さらに1991年に起きた、クロアチアの旧ユーゴスラビアからの独立戦争の影響で大聖堂の一部が被害を受け、現在もなお、その修復は続いています。また、大聖堂には様々な絵画のほか、宝物も納められており、この記事のピレ門のところで紹介した聖ヴラホの聖遺物が納められています。

個人的には教会内の「最後の晩餐」に目が行きました。

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ちなみに「最後の晩餐」とはイエス・キリストが逮捕される前日、イエス・キリストと12人の弟子が食事を共にしている場面を描いており、イエスが弟子に向かって、裏切り者の存在を予言する場面を描いたものです。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた壁画が有名ですが、この場面は宗教画として非常に多く題材にされています。ドゥブロヴニク大聖堂のものが私にとって初めての「最後の晩餐」となりました。もちろんいつか、ミラノにあるレオナルドの「最後の晩餐」もみてみたいです。

5.スルジ山

次に紹介するのは城壁都市ドゥブロヴニク旧市街の裏にあるスルジ山です。標高は412mとそれほど高くないものの山頂からはこれまで紹介してきた街全体はもちろん、アドリア海をも一望できます。

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オレンジ屋根とアドリア海の青がなんとも言えない光景を作り出しています。1991年から1995年にかけて起こった独立戦争の影響でロープウェイは運休していましたが、2010年に運行を再開し現在は、ロープウェイで市街と山頂を行き来することができます。また、山頂には白い十字架があります。

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これは、19世紀初頭にナポレオンがドゥブロヴニクを占領した際に贈呈したものであり、現在のものは独立戦争後に再建されたものになります。

以上、今回は"アドリア海の真珠" ドゥブロヴニクを皆さんにご紹介しました。中世の街並みがほとんどそのまま残されており、まるでタイムスリップしたかのような、ジブリの世界に迷い込んだかのような雰囲気を味わうことができます。また、僕は11月下旬に訪問しましたが、夏季は美しいアドリア海を望むリゾート地としても人気が高く、楽しむことができるのではないかと思いました。

アドリア海のシーフードをふんだんに使った料理も絶品です。是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。

また、2019年も残すところあと2日となりました。おそらく、年内のブログ更新は今回が最後になると思います。2020年にまた、お会いしましょう!

それでは今日はこの辺で。

りょう

おまけ

猫。

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ヨーロッパでは、ほとんど野生の猫を見ることはありません。ドゥブロヴニクに来るまで約2ヶ月で1度、見たか見なかったかくらいの頻度です。その理由は、猫はみんな家で飼っているからだそうです。ドゥブロヴニクには日本と変わらないくらい野生の猫たちがいて癒されました☺️

クロアチアの首都 ザグレブ

皆さんこんにちは、りょうです。

さて、今回はクロアチアの首都ザグレブについてみなさんにシェアしたいと思います。ブログをお休みしていた間もたくさんの都市を訪れていたので、皆さんにシェアしたいことがたくさんあります!まずはブログ再会第一弾としてクロアチアの首都であるザグレブについてご紹介します。クロアチアは、僕が住むマリボルの南西120kmに位置する南北に細長い国です。(バスで1時間半くらい)首都のザグレブは、北の方にあります。

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またクロアチアは、EUには加盟しているもののシェンゲン協定には加盟していないので国境を越えるときはパスポートを見せて入国審査をしなければなりません。出国審査と入国審査が100m離れた位置にあるという島国、日本では経験することのできないなんとも不思議な経験でした笑シェンゲン協定とはヨーロッパの国家間において国境審査なしで国境を越えることを許可する協定のことを言って、2019年現在、フランスやイタリア、ドイツなどの主要国を含む26カ国が加盟しています。ちなみに現在、EU離脱を巡って議論が白熱しているイギリスはシェンゲン協定に加盟しておらず、入国する際は審査が必要になります。私はこの留学中、シェンゲン協定加盟国のみを旅行していたので今回が初のシェンゲン協定国外旅行になりました。

また、シェンゲン協定に基づく滞在規定には一部地域をのぞいて以下の規則が適用されています。

「あらゆる180日間の期間内で90日間」つまり、直近180日間のうち最大90日間はVISAなどの特別な査証を発行することなくシェンゲン協定加盟国内に滞在することができるのです。90日間を超えて滞在する場合はVISAなどの査証をはじめ、諸手続きが必要になります。

それでは、クロアチアの首都、ザクレブの紹介をしていきたいと思います!

1.イェラチッチ広場

 まずはザグレブの中心地にあるイェラチッチ広場です。イェラチッチ広場はザグレブ中央駅前に広がる新市街と旧市街の間にあり、昔から商業の中心地として栄えていました。現在も、巨大な野外市が開かれており食品や雑貨などさまざまなものが売られています。中にはこんな可愛い刺繍屋さんも!

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ただ、刺繍を買うときには注意が必要で「ハンドメイド!」と謳っていても実際はmade in chinaであったり(made in chinaが悪いというわけでは無いと思いますが、、、)ということがあるので、きちんと店員さんに聞いて確認することが重要です。

 広場の名前は広場にある騎馬像のモデルでもあるイェラチッチ総督に由来しています。

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彼は19世紀に活躍したクロアチアの軍人かつ政治家であり、クロアチア国民にとっては英雄のような存在なのだそうです。彼は1848年革命(1848年革命:ウィーン会議によってフランス革命ナポレオン戦争後のヨーロッパを革命前の絶対王政に戻し維持しようとした保守反動体制であるウィーン体制が崩壊した革命。総称して「諸国民の春」とも呼ばれている。)時、オーストリアハプスブルク家の元、独立を目指すハンガリー革命の鎮圧において功績をあげ、クロアチアの総督に任命されました。また、同時期にクロアチア国会で奴隷制廃止を行ったことでも有名です。

2.ザグレブ大聖堂

 次に紹介するのはザグレブ大聖堂です。大聖堂は、先程紹介したイェラチッチ広場から程近い場所に位置するカトリック教会です。

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大聖堂の建設は1094年に始まり、その後、タタールと呼ばれるモンゴル遊牧民の侵入時に破壊されましたが13世紀末にゴシック様式で再建されました。その後1880年の大火で大きな被害を受けましたがネオゴシック様式で再建され、現在の形にいたります。

 ちなみに大聖堂の左右にある2本の塔は高さが105mとクロアチアで最も高い建物になっています。 

 余談にはなりますが、聖堂とはキリスト教の礼拝施設のことをいい、ミサが行われます。一般的に聖堂の中でもとりわけ大きな建築を大聖堂と呼び、8世紀に聖堂内の主祭壇の下には聖人の遺体、少なくともその一部が埋葬されていなればならないという法が定められました。

3.聖マルコ教会

 次に紹介するのは聖マルコ教会です。聖マルコ教会は、聖マルコ広場にあるカトリック教会で、屋根のカラータイルが特徴的です。

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写真向かって左側がクロアチアスラヴォニアダルマチア王国(クロアチアは中央クロアチアスラヴォニア地方、ダルマチア地方、イストリア地方の4地域から成る。)の紋章、右側がザグレブの紋章をそれぞれ表しています。

また、教会が位置する広場には国会議事堂や首相官邸など国の中枢機関が集まっています。日本で言うところの永田町といったところでしょうか。教会の内部は基本的に一般公開されていませんが、夏季になるとまれに内部が一般公開されるそうです。ザグレブを訪れる際はインターネット等で事前に内部の見学ができるのか調べてみると良さそうです。

4.失恋博物館

 次に紹介するのは失恋博物館です。英語名では、「Museum of broken relationship」といい、ユニークな展示が行われています。

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博物館内部には、恋愛を中心に世界各国から寄贈された様々な思い出の品がそれぞれの物語の説明とともに展示されています。中には、家族や友人との死別に関する物品などもあり、展示物と展示物に宿る物語を一つ一つ鑑賞することができます。

ここで、展示物の一つをご紹介

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〜携帯電話〜

「それは、長い300日間だった。

彼はこれ以上電話をかけることができないように私に自分の携帯電を渡した。」

博物館には日本語ガイドはもちろん、カフェも併設しており、ゆっくりとそれぞれの物語に心を寄り添わせることができます。

以上、クロアチアの首都ザグレブに関する紹介でした。ちなみにクロアチアの通貨は、kn(クーナ)です。レートとしては、1クーナ=16.29円(ブログ更新時現在)です。物価としては、日本と変わらないもしくは、日本より割安な印象でした。最近では、アドリア海の美しさや美味しい海鮮料理などから日本人にも人気の国であるクロアチア、その首都であるザグレブを皆さん一度訪れてみてはいかがでしょうか。

それでは、今日はこの辺で。

りょう

フランス パリでの盗難被害

皆さん、こんにちはスロベニアに留学中のりょうです!

実に1ヶ月半ぶりのブログ投稿になります!最後にブログを投稿したのが11月7日(木)でした。なぜ、こんなにも長い期間ブログ投稿をしなかったのか?理由はいくつかあります。その中でも一番大きな理由は、フランス、パリでの盗難被害にあったことです。

盗難???なにを盗まれたの???いろいろお話しすることはありますが今回は、僕がどのようにして盗難被害にあったのかということをシェアするとともに盗難被害にあったときにとるべき行動(被害に遭わないようにするのが一番いい)を皆さんにシェアしたいと思います!

さて、これまでの旅行ブログとは打って変わって盗難被害に関するブログということで正直、ブログとして書くか迷った部分もありました。しかし、今回この場をお借りして僕の経験がいつか皆さんに役立つかもしれないと思ってこのブログを書くことにしました。

まず私が今回、盗難被害にあった場所はフランスの首都、パリです。説明不要の世界的大都市であるパリ。人口は214.1万人(2019年1月1日調べ)で毎年何千万人という観光客が世界からやってきます。(フランス全体で2018年は8940万人)そんな名実ともに世界一の観光国家フランスの首都であるパリにはエッフェル塔凱旋門ルーブル美術館ノートルダム大聖堂(2019年4月に発生した火災により一部が焼失し、現在は一般公開されていない。)など世界的に有名な数々の建築や美術館などがあります。そんな華々しいイメージを持つパリですが近年、犯罪が多発していることでも有名です。犯罪の中でもっとも多いと言われているのがスリや置き引きなどの軽犯罪です。2017年調べで日本国大使館に届け出がされた数は401件。つまり1日に1件以上の犯罪が大使館に報告されているんです。この数字をみて「あれ、意外とすくないじゃん!」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんがこの401件というのは、あくまで"大使館に届け出された"件数であり、実際にはもっとたくさんの方が被害に遭われていると思って間違い無いと思います。

それでは、実際に僕が盗難にあった状況から説明していきたいと思います。

・地下鉄にて

僕が盗難被害にあったのはパリ市内を運行する地下鉄(メトロ)の車内です。その日は早朝からフランスの南部にあるリオンという都市に日本人の友人(某ヨーロッパの国に留学中)と僕の二人で出かけていました。パリ市内に戻ってきたのは夜21時のことでした。リオンからパリへの電車の大幅な遅延などもあり、疲れ果てていた僕達は一刻も早くホテルに帰り、ゆっくりしたいと思っていました。パリのリオン駅(フランス南部のリオンという都市にあるリオン駅とは別にパリ市内にもリオン駅がある、、、ややこしい。)からホテルまではメトロを乗り換えて20分くらいの道のりでした。リオン駅内の券売機でチケットを購入してメトロに乗り込んだあと、僕たちは気づきました。「あっ!ホテルと逆の方向だ!」そう思った僕たちは咄嗟にメトロを降りなければと思いました。幸い、メトロは駅に停車中だったので僕たちは急いでメトロから降りようとしました。この時、時刻は21時半ごろ。パリの地下鉄は夜でも路線によっては人が多く大変混み合っています。僕たちは混み合う電車の中で、メトロを降りようと必死でした。その時、ドアが閉まる直前に黒人の男性、3〜4人の集団がメトロに乗り込んで来たのです。彼らが乗り込むと同時にメトロの扉は閉まり、僕たちは降りることを諦めました。しかし、パリのメトロのドアにはボタンがあり、そのボタンを押すことでドアが開く仕組みになっています。(路線によってはレバーを上に上げてドアを開ける。)その男性集団は僕たちが降りたいということを察してくれたようでボタンを押し、ドアに自らの体を挟み、僕たちに道を開けてくれたのです。僕はその時、正直に「ありがとう!たすかった!ホテルに早く帰れる!」と思いました。僕たちがメトロを降りるとすぐにドアは閉まり、メトロは走り出しました。無事、メトロを降りることができ、ホテルに向かう正しいメトロ乗り場に向かおうとしたその時、僕の後ろにいた友人が僕に聞きました。「何も取られてない?笑 降りる時、人からぶつかられて痛かったー」僕はこう答えました。「大丈夫!大丈夫!」そして僕は、自分のお腹の前に持っていた小さなショルダーバックに目を落としました。

チャックが開いている。

リオン駅でチケットを買った時に財布を取り出し、その後、確実にバックのチャックを閉めていたので、僕は思いました。「盗難だ。」

一瞬頭が真っ白になりましたが、その後バックの中を確認すると、パスポートと予備のクレジットカードを入れていた財布がないことに気づきました。その時、「盗られた!」という気持ちと「いつ?」という疑問が襲ってきて頭が真っ白になりました。文字通り、真っ白です。これまで感じたことのない気持ちでした。

その後、友人と二人で別のメトロに乗りホテルに帰りました。正直、その時はまだ自分が盗難にあったという現実を半分受け入れることができていませんでした。「まさか、自分が。」「どこか他のところに入ってるんじゃないか?」そんな気持ちの中、ホテルに戻り、その時、持っていた全てのバックを確認しましたが、やはりパスポートはありませんでした。パスポートが入っていたバックの中には、財布を入れていたポーチの紐だけが残されていました。

・盗られたもの

それからというもの、まずは盗られたものをリストアップしなければという感情に駆られすぐにその作業に移りました。以下盗られたもの。

・パスポート

・クレジットカード2枚

デビットカード

・予備のSIMカード

・日本の学生証

・現金日本円で20000円程度

・その他日本で使用していたお店のカード類

今考えると、なぜこんな大事なものを同じ財布の中に入れていたのか理解に苦しみますが、当時の僕には「まさか、自分がスリに会うなんてことはないだろう。」という前提があったことが原因だと思います。(メインで使用するクレジットカードは別の財布に入れていたので無事でした。今考えると、このカードも一緒に盗まれていたら本当に大変なことになっていたと思います。)

それでは、次に盗難品それぞれに対する対処法をみなさんにシェアしたいと思います。

・クレジットカード

まずはクレジットカード会社に電話をして使用停止してもらわないといけない!と思い、日本の家族に連絡し、状況説明とクレジットカード会社への連絡をお願いしました。クレジットカードに関しては会社に連絡をした段階で幸いまだ不正利用はなく、無事に使用停止手続きを行うことができました。

・パスポート

次に問題になったのがパスポートです。皆さん、海外滞在中におけるパスポートの重要さをきちんと理解していますか?よく、パスポートは「命の次に大切だ!」と言われることがあります。当時僕は、この言葉の意味をあまり理解していませんでした。盗難にあった日の翌日、早朝にパリからスロベニアに戻る予定だったので、「まあ、どうにか帰れるだろう!」くらいの気持ちでいました。というのもヨーロッパにはシェンゲン協定という協定があり、この協定に加盟している国同士の移動はパスポート確認などを行わずとも自由に行うことができるのです。スロベニアとフランスの両国もこの協定に加盟しており、パリに来る際も、特にパスポートの提示などはなく、名前と搭乗券を提示するだけで飛行機に搭乗することができました。まあ、パスポートを再発行するにしてもスロベニアで再発行すればすぐに再発行できるから大丈夫だろう!とても楽観的に考えていました。いま、思うと頭が混乱して過度に楽観的になっていたとしか考えられません。

そんなことを僕が考えている中、僕の友人は知り合いでフランスに留学している方に連絡をとってくれていました。僕と友人はトビタテ留学JAPANという奨学金プロジェクトを利用して留学を行なっており、友人は同じプロジェクトに参加している方(以下Aさんと呼びます。)でフランスに留学している知り合いがいました。そして、友人から現在の状況をAさんに伝えてもらい、Aさんから一言次のように言われました。「今回は、災難でしたね。パスポートを再発行なさると思うのですが最低でも申請から1週間はかかると思います。その間はパリにいなければいけません。宿などは大丈夫ですか?」この時、私の頭の中は再び真っ白になりました。もちろん、盗難にあい、大きなショックを受けたのは確かですが、「まあ、なんとかスロベニアには帰れるだろう!」と勝手に思い込んでいた自分にとって「パリに1週間?宿は?」私は一気に不安になりました。その時、私には、パリに知り合いなどおらず、頼れるのは一緒にいる友人とAさんの2人しかいませんでした。私はAさんからパリに住んでいる日本人の知り合いの方を2名ほど紹介していただくことができました。そして、紹介していただいた方と連絡を取り、なんとか次の日はその方のお宅に泊めていただけることになりました。海外のホテルでは、原則としてチェックイン時にパスポートを提示する必要があります。つまり、この時の僕は、"パスポートを持たず、身分を証明することのできない謎の東洋人"(少し誇張しているかもしれませんが、、、)状態で自力でホテルを予約することもできない"ホームレス"状態に陥っていたのです。

そのような状態でいろいろなことを調べていると時刻は既に現地時間の3時を回っていました。疲れよりも不安が大きく寝るに寝れない心理状況でした。なんとか4時ごろに寝付くことができましたが、一緒にいた友人は留学している国に帰るため6時頃にホテルを出発し、空港に向かいました。友人と別れ、とうとう一人になってしまった僕。パリという見知らぬ土地でパスポートもなく一人でいるというのは想像を遥かに超えて不安なものです。正直、今までの人生20数年の中で一番不安を感じました。

・パスポート再発行に向けて行うこと

さて、大きな不安に駆られていた僕ですが、パスポート再発行に向け、やらなければいけないことがあります。パスポートを再発行しない限り、スロベニアには戻ることはできません。インターネットで「海外 パスポート盗難」などと検索すればいろいろな情報が出てくるかと思いますが、今回は僕の経験談からできるだけ早くパスポートを再発行するために何から行えば良いのかということを優先順位が高いものから順に共有していきたいと思います。

①再発行に必要な書類の整理

 まず、はじめにやるべきこと。それは再発行に必要な書類の整理です。それに伴って、どのような流れでパスポートが再発行されるのかということを自分で理解することが今後、行動するにあたって重要になってきます。僕の経験を踏まえて必要な書類と再発行の簡単な流れを皆さんにシェアしたいと思います。

・必要書類

1. パスポート再発行申請用紙1枚(現地の日本国大使館窓口もしくは日本国大使館HPで無料で入手することができます。)

2. パスポート用証明写真2枚(地下鉄構内の写真機で撮ることができます。また、パリのピラミッド地区には日本語対応の写真館もあります。僕が行った時はちょうどお休みでした。)

3. 6ヶ月以内に発行の戸籍謄本もしくは戸籍抄本の"原本"1部(現地で入手することは不可能。手元にない場合は日本からの郵送が必要。)

4. 現地警察の盗難証明書1部(現地の警察署に行き、無料で発行してもらうことができます。)

5. 再発行申請手数料(5年用:84€、10年用:122€)c.f. 1€=122円(2019年12月現在)※現金のみ

必要書類と手数料は以上になります。また、流れとしては次のようになります。

申請書類を全て用意→大使館の領事部窓口に提出→再発行→手数料を払って新しいパスポートを受け取り

②戸籍謄本もしくは戸籍抄本の"原本"を手元に用意する。

 パスポートの再発行に必要な書類のうち唯一現地で調達することができない書類が戸籍謄本もしくは戸籍抄本の"原本"です。(抄本は謄本内の個人つまり、特定の人物の情報を抜き出したもの。)ここで重要になってくるのが"原本"というワードです。つまり、もし手元にこれら書類の原本がなければ日本から郵送してもらわなければならないのです。(ほとんどの方が手元に原本を持っていないと思うので日本から書類を郵送してもらうことを前提に話を進めていきます。)日本からヨーロッパまで、書類を郵送するのに有する時間は日本郵便の国際スピード郵便(通称、EMS)を使用して、場所にもよりますが最速3日から5日、一般的には1週間と言われています。税関などでなんらかのトラブルが生じてしまうと到着は遅れ、最悪の場合、2週間以上かかることもあるそうです。僕の場合は、日本からパリまで8日間もの時間を要しました。(日本の外務省もしくはパリの日本国大使館に問い合わせることで書類をパリの日本国大使館宛に郵送することができる。)

※郵送する前に必ず、携帯のカメラなどで良いので控えを用意してしておいてください。この控えがのちに重要になります。

③現地警察に行き、盗難証明書を発行してもらう。

 ②で説明した戸籍の手配と並行して現地警察から盗難証明書を発行してもらう必要があります。パリの主要な都市には24時間対応の警察署があります。現地警察では、まず受付で簡単に被害状況を書類に記入することになります。(書類のフォーマットはここ)

基本的に書類はフランス語もしくは英語記載になるので、言語に自信がある方以外は事前にフォーマットを確認しておくことで記入がスムーズになると思います。僕も事前にフォーマットを確認しておいたので、警察署での書類記入をスムーズに済ませることができました。受付で書類の記入を終えると待合所でその後の指示を待ちます。自分の順番が来ると別部屋に案内され、盗難の詳しい状況聴取と証明書作成に移ります。人にもよると思いますが現地警察の方(というよりフランス人の方の多く)は基本的に英語を話そうとせずフランス語を話す傾向にあると感じました。なので、フランス語を話すことができない方はインターネット翻訳等を利用して警察官の方とコミュニケーションを取るように準備した方が無難だと思います。僕も全くフランス語を話すことが出来ないので翻訳機を駆使してなんとか自分の状況を相手に伝えました。

聴取が終わると複数枚の書類にサインをして、証明書の発行は終了になります。利用する警察署や曜日、時間帯にもよると思いますが、証明書作成には想像よりも時間がかからと思います。(僕の場合、待ち時間も含めて3時間程度かかりました。)

④パスポート再発行用証明写真を用意

 次に行うことはパスポート再発行用証明写真を用意することです。撮影手段としては主に2点あります。1点目は、地下鉄構内にある撮影機を利用する方法です。日本によくある簡易的なボックス撮影機がパリの地下鉄構内にも基本的にはあります。もしくは写真館に行き、写真撮影を行うという方法です。パリのpyramidという地区には日本語対応の写真館もあります。ただ、料金は地下鉄構内にある撮影機に比べ割高だと思います。どちらの方法でも写真のサイズに注意することが必要です。そして、証明写真は2枚必要です。

⑤在フランス日本国大使館に行く。

今回のブログでは、私の経験上、"最速でパスポート再発行をする"ということを前提に話を進めていますが、一般的にはまず、在フランス日本国大使館に行って事情を説明するということが最初にすべきことだと思います。しかし、大使館は平日の9時半〜17時(昼休憩あり)のみの営業なので、盗難に遭ってしまったのが大使館の営業時間外もしくは土日、祝日だった場合、大使館に行く前にできることをやるということがその後のために重要になります。また、必要書類なども大使館のホームページにアクセスすることで確認できるので、私の経験からすると大使館に行くよりも先にやることはあります。さらに、大使館内でパスポート再発行業務を行う領事部では原則的に申請書類が全て揃わない限り、パスポート再発行手続きは開始されないのでまずやるべきことは、必要書類を一刻も早く手元に用意することです。

ここで一点注意点として、②戸籍謄本もしくは抄本の原本の用意でも言ったように原本の写メなどがここで重要になります。それらのコピー(写メやファックス等)があるとそれをもとに大使館の方で再発行手続きを進めてくれる場合があります。つまり、原本が届き次第、即日新しいパスポートを受けとることができるというわけです。

⑤手数料の用意

 パスポート再発行手数料は、パスポートの有効期限によっても異なります。5年用であれば84€(約10000円)、10年用であれば122€(約15000円)となります。ここで注意ですが手数料は現金でなければいけません。もし現金がない場合は、現地の銀行もしくはATMでキャッシングしなければなりません。

以上を持って、パスポート再発行までの流れの説明を終わりたいと思います。説明が長く、複雑になってしまいました。

今回、このようなブログを書くかどうか正直迷いました。しかし、普段通りのブログを書く前に一区切りとしてこのブログを書くことにしました。私は結局12日間もの間、パリに滞在することになりました。盗難にあった時は、これからどうすればいいのか分からず、これまでに感じたことのない不安に押しつぶされそうになりました。しかし、沢山の人の助けのおかげでなんとか無事に留学先であるスロベニアに戻ることができました。パリ滞在中にお世話になった方々には本当に感謝しかありません。

盗難というのは誰にでも起こりうることだと思います。特にパリのような大都市では貧富の差が大きく、盗難などの犯罪で生計を立てている方も大勢います。

自分の身は自分で守るということ。「自分は大丈夫!」という思いを持たずに常に気をつけることが犯罪に巻き込まれないために重要になってくると思います。

このブログが少しでも皆さんのお役に立てる日が来ることを願います。

〜今後、随時更新予定〜

りょう

ノルウェーの首都 オスロ

皆さんこんにちは、りょうです。

私は先週末、ノルウェーの首都オスロに行ってきました!

スロベニアでは、先週の木曜日と金曜日が祝日だったので土日も合わせて4連休を取ることができました!そこでその4連休を利用して北欧、ノルウェーに来たわけです!

ちなみに先週末の祝日は10月31日(木)が宗教改革の日、11月1日(金)が諸聖人の日と呼ばれています。諸聖人の日とは、カトリック教会の祝日の一つで全ての聖人と殉教者を記念する日とされています。またこの日は現在、死者の霊が親族を訪れる日とも考えられています。日本でいうお盆のようなものです。スロベニア人の友人もこの日に家族と一緒にお墓参りに行くといっていました。また、諸聖人の日は「Hallowmass(聖なる魂)」とも呼ばれています。さらに諸聖人の日の前夜は「Hallow eve」と呼ばれ、アイルランドケルトなど一部ではキリスト教伝来以前から精霊を祭る日であったとされています。その後時は過ぎ、19世紀にアメリカに移住した移民によってこの文化がアメリカに伝わりました。アメリカではカトリック教会の信徒が少ないこともあって諸聖人の日は定着しませんでしたが、諸聖人の日の前夜である「Hallow eve」がなまった「Halloween」は今もなお盛大に祝われています。日本でも近年、話題になっているハロウィンにこのような歴史があったと知り、とても興味を持ちました。

 さて、余談はこれくらいにしておいて今回のブログではノルウェーの首都オスロについて紹介していきたいと思います!

 ノルウェーは、正式にはノルウェー王国といい現在は、ハーラル5世を国王とする立憲政体の国です。国土の大きさは日本とほぼ同じですが人口は約500万人と日本の約1/25ほどと日本に比べると人口密度がとても低い国です。僕の住むスロベニアマリボルからノルウェーの首都オスロまでは約2000kmの距離です。ちなみに僕の住むマリボル近辺には空港がなくオーストリアのウィーン国際空港までバスで約4時間移動しなければなりません。遠くに旅行にいく前に小旅行を行います笑今回はウィーンから一度オランダを経由してオスロへと向かいました。

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世界に誇る鍾乳洞の町 ディヴァーチャ

 こんにちは、りょうです。スロベニアの今日の気温は、7℃!!!雨ということもあると思いますが、先週末まで比較的暖かかったのでとてもびっくりしています。体がついていけるか心配です、、、笑

 本格的に冬が近づいてきたヨーロッパですが現在、日本との時差はー8時間です。10月27日(木)をもって、2019年のサマータイムが終了し、これまでのー7時間という時差から1時間時差が長くなりました。サマータイムとは、一年のうち日照時間が長い夏の時間を有効活用するために標準時を1時間進めるというものです。期間としては、3月の最終日曜日から10月の最終日曜日となっています。なんとサマータイムを実施している国では、一年のうち7ヶ月とサマータイムを適用している月の方が期間的に多いんですね。

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高緯度であるヨーロッパにおいてサマータイムの導入には日没から就寝までの時間を強制的に1時間早めることで消費電力を抑えるという狙いもあります。また1948年から1951年までの間、日本でもサマータイムが導入されていたそうです。しかし北海道等を除き、緯度が比較的低い日本では夏と冬の日照時間の差が少ない上に、熱帯夜が多いので夜でもエアコンを稼働し、消費電力節約の効果も希薄であったために廃止されたそうです。しかし、サマータイムに体が適用するのに負担がかかることから睡眠不足等健康被害が生じること、省電力効果が思ったほど大きくなかったというデメリットからEUでは市民の約8割が反対姿勢を示し、欧州議会で2021年をもってサマータイムが廃止されるという法案が可決されました。

 僕は、これまでサマータイムという言葉は聞いたことはあったものの詳細についてはほとんど無知でした。朝起きて、スロベニア人の友人が「1時間長く寝ていたよ!」と言っていてなんだろう?と思って実際に調べてみるとこのようなことを知ることができました。何事にもアンテナを張り巡らせて好奇心を持つことは大切だなと思いました。知らぬ間に1時間多く寝れていたなんてなんだかラッキーな気持ちになれました笑

 さて、サマータイムのお話はこれくらいにしておいて今日はスロベニアの西にある小さな町「ディヴァーチャ」について皆さんに紹介したいと思います!

 ディヴァーチャは、僕の住むマリボルから南西におよそ200キロの距離にあります。バスでおよそ3時間半〜4時間の距離です。(以前紹介したスロベニアの首都であるリュブリャナからバスで1時間半くらいの距離です。)

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人口としては、わずか4000人程度の小さな市です。

          で!す!が!

このディヴァーチャには、以前スロベニアについてのブログでも紹介した"シュコツィアン洞窟群"があるのです!

 

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中欧で最も歴史的な旧市街 グラーツ

 皆さんこんにちは、りょうです。もうすぐスロベニアに来て一ヶ月が経とうとしています。僕がスロベニアに来る前に心配していたことの一つ。それは、寒さです。僕が暮らしているマリボルは北緯約46度と日本の最北端である択捉島とほぼ同じ緯度にあります。九州出身で寒さに慣れていないので、スロベニアの寒さに耐えることができるのかとても心配でした。しかし、、、今日の昼の気温はというと21度!僕が暮らしていた九州とほとんど変わらない気温です。例年であればこの時期、スロベニア では平均気温が10度以下、一桁となるそうです。しかし、近年問題となっている異常気象の影響か今年は温暖な気候のようです。スロベニア人の友人も「おかしな天気だ」と言っていたほどです。そんなぽかぽか陽気なマリボルでは、10月後半にも関わらず半袖を着た人たちもちらほら見えます。しかし、もうすぐ冬本番を迎えることになります。いつ厳しい寒さが襲ってくるのかビクビクしています笑

 さて、そんな今日は先週末に旅行で訪れたオーストリア第二の都市であるグラーツについて皆さんに紹介していきたいと思います!

 首都であるウィーンに次いでオーストリアで2番目に人口が多い都市であるグラーツ。人口はおよそ25万人と日本の渋谷区と同じくらいです。また、グラーツ は1999年に街の中心部がグラーツ市歴史地区として世界遺産に認定されました。その後、2003年には欧州文化首都として認定されました。僕が住むスロベニアマリボルからおよそ70km、バスで1時間の距離にあります。

 グラーツにはもともと砦があり、砦はスラブ語で「グラデツ」と言います。そこから転じて今のグラーツという名前になったそうです。18世期末から19世紀初頭にかけてヨーロッパ全土を征服したあのナポレオン・ボナパルトもこのグラーツの地は直接的には攻略できなかったというすごい歴史を持っています。

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